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スハニ62(附:幌内支線での運用)

スハニ62はスハニ61の北海道向け合造車です。客室定員は56。ストーブが設置されると4人減になります。スハニ61が後に荷物室荷重が4tに制限されたのですが、スハニ62は5tのままです。昭和45年10月当時、道内には31輌が配置されておりました。
この模型はニワのキットを組み立てたものです。例によって少しだけ床下を作り込みました。本来ならばスハニ62 2は温気暖房器が装備されている筈ですが、省略してしまいました。床下に明いている正方形の孔は照明、尾灯のスイッチ取り付け予定の孔です。

これも思い入れにある客車で、従兄が幌内春日町におりましたが、この家がまさにトレインビュー。真っ黒な幌内川(当時は石炭を洗った水を直接放流か?)を挟み、幌内線が走っており、通過列車を眺めるには絶好の立地でした。遊びに行ったとき運が良ければ、9600が牽くセキ列車にぶら下がったスハニが見られたものでした。しかし、このミキストも昭和47年で廃止。ついぞ乗らずじまいでした。

※この合造車の添乗音を当時録音された方がいらして、先日入手して聞いてみました。・・9600の汽笛一声バックで三笠駅発車。連結器の衝撃音が響き、一旦引上げ線まで走り停車。(幌内方面へは珍しいスイッチバック方式)再度汽笛吹鳴、発車。ややあって、「幌内住吉駅」停車。終点幌内までは正念場で急勾配が続き、さしもの9600も喘ぎながら列車を引っ張り上げますが、無事に終点到着。・・まさか当時の音を録音されている方がいるなんて感激!

興味のある方はこちらへアクセスしてください。他にもとても貴重な音源が数多くあります。

           
『汽車の音工房 麻衣音美菜』 http://www.mainemina.com/

幌内支線、三笠ー幌内間の旅客列車は昭和45年10月当時、たった一輌のスハニ62がその運用に就いており、早朝の671レで岩見沢から三笠へ回送され、日中の724~732レでの任をこなしています。そして深夜、2674レで岩見沢へ戻ってこの日の運用を終えます。子供のころ、三笠の3番ホームにはスハニがポツンと1輌、留置されていたのを記憶しております。

昭和45年の記録を見ると、三笠ー幌内間の鉄道利用者数は33,047人/年、同区間バスで1,555,758人/年、その差は歴然です。単純に割り算すると一列車に18人でなるほど、定員56のスハニ1輌で十分な筈です。以前に昭和30年代の三笠駅構内の写真を見たことがありますが、客車3輌がこの3番ホームにおり、その内の2輌はダブルルーフのオハ31系でした。

岩見沢客車貨車区のスハニ62の配置表を載せましたが、この6輌の何れかが、幌内支線の運用に就きました。62 1・2・3はウェバスト暖房器とストーブが併設されております。混合列車のため、暖房が必要な時期にはこの装備を持つ1・2・3が充当されたのでしょう。ちなみに、上記の添乗音はスハニ62 35とのことです。盛夏であったため、30・35・36でも問題はなかったのでしょう。尚、47年11月の幌内支線さよなら旅客列車はスハニ62 2だったようです。

この根拠は、北海道新聞社編(1987)『写真集ー国鉄北海道ローカル線』のP222の写真に依ります。しかし、昭和47にスハニ622は網走に配置されている筈。との遠藤様のご指摘を受け、同年の客車配置表を紐解くと確かに網走に配置されておりました。謎が深まりますが、書類上の配置と実際は食い違うこともあるようです。若しくは、一旦網走に配置されて何等かの理由で岩見沢に戻ったかです。

岩見沢持ちのスハニ62はこのほか、
札31運用で岩見沢ー幾春別にも運用されていました。この少し前までは万字線にも客車列車が運行されており、スハニ62の運用があった模様です。定期運用は4輌で2輌は予備車です。これはまた改めて記してみたいと思います。