

唐松駅の記憶
この図は、昭和51年の航空写真を元に作図したのもです。この頃は、すでに貨物上屋の側線も撤去されている模様で、往時の活気は感じられませんが、それでもまだ、この時点では側線や、南に分岐する専用線は、撤去されずに残っています。
駅舎は今も現存しており、地元の方々のご尽力で、美しい状態で保たれております。夏季には待合室内部が公開されており、往年の写真や、資料などが展示されております。旅客ホームは一面で、待ち合わせの貨物列車は2番の副本線に停車していました。貨物上屋は解体されていますが、基礎の痕跡は残っており、建屋の柱割をうかがい知ることが出来ます。
腰折れ屋根が特徴の駅舎で、外壁は一部建材で補修されていますが、待合室内部は昔の面影を残しています。私の幼いころは、売店があったと記憶しております。母と列車に乗り遅れてしまったことがあったのですが、一度発車した気動車が停止して、待ってくれたことがあり、実にのんびりしたものでした。
尚、昭和40年前半の記憶では、貨物上屋の側線にはコキ5500が入っていたのを憶えております。袋詰めの練炭や、石炭、若しくはカーボン製品をコンテナで出荷していたのでしょうか(このコンテナ列車は隔日運転され、唐松発15:00隅田川着は4日目の3:00に到着)。また、ベンゾール専用の2軸、3軸のタンク車が北寄りの側線に留置されておりました。これらのタンク車はここと、東室蘭間の運用があったようです。どういった訳か、3軸のタサ600(石油類専用)も入線が確認されています。※「車票を読む」の項を参照してください。
専用線の先には練炭工場と、北炭カーボンの工場がありました。専用線の記憶はあまりないのですが、D51が貨車を推進していくのを、おぼろげながら憶えています。専用線の警報機は拡声器から出る電子音ではなくて、チンチンチン・・とベルを打つ旧式のものでした。
2軸・3軸のタンク車(北炭カーボン用?)
コキ5500
唐松駅構内配線図
専用線の踏切


現在の唐松駅の様子

