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ウェブマスター   の略歴など



昭和30年代北海道空知の炭鉱町で生まれる。どうやら、母の胎内にいたときからから汽車が好きであったらしい。
幼少の頃から、汽車の絵を良く描き、これを糊貼りして絵巻物を作成した。これは今でも現存している。未だ全容は確認していないが、恐らく延長30mはある模様。客車の床下機器、配管などに異常な興味があったらしく、しつこく描写しているが、もちろん正確なものではない。三つ子の魂云々・・などというが、いまだにひきずり床下の工作に心血を注ぐ。

あるとき、祖母にせがんでヤードを跨ぐ人道橋に連れて行ってもらい、初めて石炭車の底を見、W形になっていることにえらく感動。小学校に上がってからは、従兄の影響もあり、戦車や飛行機、艦艇のプラ模型に入れ込む。4年生くらいにNゲージを少し始めた。親にカトーのキハ25を買って貰い喜ぶ。しかし、パワーパックが無いので、幾個かの電池を直列につないで動かして満足していた。

中学になって再びプラ模型にうつつを抜かす。のめり込みすぎて担任の先生からプラモ禁止令が出される。夏休みの工作に思いもかけない人物が、キハ26(北海道にいない筈の車だったが、この時分キハ55と共に本州から札ナホに転属)のペーパー模型を作ってきた。工作は正直、うまくはなかったが、その作品からは並々ならぬ情熱が感じられ、心を動かされる。

これがきっかけとなったかは定かではないが、また鉄道復活。高校の時に、好きだったスハ32の模型を着手、今度は16番で。もちろん、床下はフルパイピングだ。

大学に入り親元を離れ、模型製作ができる環境では無かったので、中断。就職した後も、仕事が忙しすぎて趣味どころではなかった。ようやく30才近くなり、少し余裕が生まれて、再び鉄道模型生活突入、現在に至る。蒸機、客車そして貨車が興味の対象。特に貨車は単品で勝負(?)ができるので、これがメインになっている。時代設定は昭和44~45年。偏狭性が否めないところではある。
最後に、このような道楽を看過してくれる妻、息子そして娘に謝意を述べて締めくくる。

と言うか、模型遍歴です。

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